2014年8月19日火曜日

4回目の動注評価

いって参りましたー!

結果発表どどん!

......と。
ここの担当医、待合室で待っていると先生本人が診察室から顔だして呼んでくれるんですが、そのときの表情でだいたいいいか悪いかがわかるんですよね。

今回はまずまずの表情だったんで、お?とおもって診察室の椅子にすわったとたんに
「ちょっと気になることが....」
って、えええー!なになに?!なんなの?!ご新規様出現なの?!

「とりあえず画像みながらお話しましょう(ドキドキ)。大きさは変わっていませんが全体的に前と比べて染まりが薄くなっていて、ところどころ黒くなっているので、治療は効果ありとおもっていいとおもいます。ただ、S字結腸に近い部分なので、今回使った薬はきつい薬なので腸までいってしまったら膿みがでたりすることがあるんです。血便がでたりなどはないですか?」

気になることってそれ!?
なんだー。それかー。たしかに腸にいくとこの治療できないからヤバいんではありますけれども、それはないです。

運よくというかなんというか、実は医療用麻薬を使っているおかげで便秘がひどく、その便秘解消のための薬の治験を受けておりまして、腸のレントゲンもこの間とってもらって腸には異常ないというのを確認してもらっているのです。

そのことも話して、次回も同じ薬でいきましょうとなりました。腸の方に薬がいかないようにしっかりみながら次は治療していきます。とのことでした。

はっきりはいえないけれども、血管がかなり細く、薄くなっているので、腫瘍の活動もおさえられているのでは?と考えられると。
実際のところはおなかあけてみないとわからないけどねーと。(そりゃそうだ)

とにかくよい方向には進んでいるので、このまま細く長くいきましょう!となりました。

今は大きさは不変なので神経を押している痛みはおなじですけれども、このままいけば縮小して痛みもなくなるでしょう!

やったね!

2014年8月16日土曜日

神のなさる事は、すべて時にかなって美しい

今日ほんとうに偶然に長年の友達に会うことができました。 

と、いっても春にもあっているのだけれども、複数人で会ったので深い話等せず分かれたのですが、 今回は二人ということもあってかなり深ーい話をいたしました。 

あー、なんだか闘病ブログじゃなくて宗教ブログになっていきそうなーW 

そう、ほんとに偶然にその子は数年前に洗礼を受けたそうで、私が聖歌隊に入っているっていうのをきいて聖公会ってどんなところ?って興味があったそう。 

で、たまたま最近闘病と免疫力とイェスの愛について書くことが何度かあったんだけれども、それを読んでくれてこんな話を私としてみたいと思ってくれたみたい。 

ありがとー。

 そして、彼女が私のためにお祈りしていてくれたこともききました。

 ありがとー。 

もうね。なんだろう。帰り道思い出しながら帰っていて泣きながら自転車に乗る怪しい人になってました(苦笑) でもね。ほんとにうれしかった。 私、大事に思われているんだ!そう思うだけで心が温かくなって、うれしくなって、涙が出てくる。 うれしければただニコニコしてるだけでいいじゃん!って思うんだけど、なんだろうねぇ、涙が流れるんですよ。

 そしてね、彼女と「赦す」ということの難しさを話していたんだけれども、彼女はほんの小さなことからやっているっていってどんなことをしているかを話してくれたんです。

確かにほんのちいさなこと。そのことをきいたとき、私も「それでいいんじゃないかなー」ってうなずきながらきいていたんだけれども、帰りの電車のなかでその話をふと思い出し、自分の身に置き換えてみたとき、ああ、私はあれほど赦せないと思っていた妹を既に赦しているっておもった。彼女も彼女の赦せない人をもはや赦しているって。

 赦すってすべてを受け入れて近くにいるっていうイメージがありますけど、そうじゃなくて、相手を受け入れて遠くに離れているっていうのでもいいんじゃないかって。 受け入れるっていうのも、別にすべてを受け入れる必要ないんじゃないかな。 あの人はそういう人だっておもって、その赦せない部分を神に向かって祈り、手放していくことをしていくだけでも受け入れていることになるんじゃないのかな。

 そうしておもえば、もう私たちは赦せないと思っていた人をすでに赦してるんじゃないかなって思ったんです。 

そしたらまた思い悩んでいたことがなくなって気持ちがかるーくなりました。 
気づかせてくれてありがとう。 
今日こうやってこんな話ができたのも神のみ業なのかな?と思いました。

まさに
「神のなさる事は、すべて時にかなって美しい」


何事にも時があり
天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
生まれる時、死ぬ時
植える時、植えたものを抜く時。
 殺す時、癒す時
破壊する時、建てる時。
 泣く時、笑う時
嘆く時、踊る時。
石を放つ時、石を集める時
抱擁の時、抱擁を遠ざける時。
求める時、失う時
保つ時、放つ時。
裂く時、縫う時
黙する時、語る時。
 愛する時、憎む時
戦いの時、平和の時。
人が労苦してみたところで何になろう。
わたしは、神が人の子らにお与えになった務めを見極めた。
神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。
それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない。
「コヘレトの言葉3章1~11節」

 私は知った
人間にとって最も幸福なのは 喜び楽しんで一生を送ることだ、と。
人だれも飲み食いし
その労苦によって満足するのは 神の賜物だ、と。
 「コヘレトの言葉3章12~13節」

待ち遠しい新治療法ーBNCT

BNCTー中性子捕捉療法(ちゅうせいしほそくりょうほう、英 Neutron Capture Therapy)とは

原子炉などからの中性子とガン組織に取り込まれた中性子との反応断面積が大きい元素との核反応によって発生する粒子放射線によって、選択的にガン細胞を殺すという原理に基づくガン治療法(放射線療法)である。この治療法に用いられる中性子増感元素としては10B、157Gd等が考えられているが、現在はホウ素のみが用いられており、この場合特にホウ素中性子捕捉療法(ほうそちゅうせいしほそくりょうほう、英 Boron Neutron Capture Therapy、BNCT)と呼ばれる。
これがねぇ、ほんとにすごいんですよ。
正常細胞を傷つけないから放射線照射後の再発ガンにもつかえるようなんです。

まだ開発中ということなんですけれども、すでに治験は阪大、京大、川崎医科大等でおこなわれていて厚生労働省の先進医療として申請間近だそうです。

医療というのは日進月歩ですなー。

この治療方法が一般でつかえるようになればガンで死ぬ人が一気にへるのでは?!とおもいます。



2014年8月14日木曜日

私が病気になったワケ

そう。やっとわかった。
ここまで来ないとわからなかったんだ。

人生に無駄はないとおもっているけれども、今のこの試練はなんのために必要なんやろう?とおもってた。

そう。その理由がやっとわかった。

2014年8月8日金曜日

死ぬ事を受け入れるために 3 「がん活力」

先日「死ぬ事を受け入れるために」ってタイトルで2つほどブログを書きましたが、この「死ぬ事を受け入れる」って言葉、他の闘病ブログを読んでいて書かれていた言葉なんです。

ガンになって同じ病気の人の闘病記を読んだりしてました。
交流ってのはほぼないですけれども。

ガンにもいろいろありまして、私の場合は子宮頸癌で本来は再発率も低く、根治率もそんなに悪くないガンなんですよね。(うっかり再再発しちゃってますが)
ガンもできる部分によってずいぶん予後が違うのです。

2014年8月1日金曜日

死ぬ事を受け入れるために 2

死ぬ事を受け入れたらなにかいい事があるんか?

と思った人もいるかも。

たぶん、焦らなくなるとおもう。で、流れに身を任せる事ができて、心穏やかに日々過ごせるようになるかな。と思ってる。

人はだれでも死ぬけれども、その時期は自分では決められない。
ただ、ガンで死ぬということは死ぬまでの準備ができるから悪くはないよね。
家族にとっても自分にとっても。

死ぬ事を受け入れるために 1

なんて書いたら、また周りに心配されるから先にいっておきます!
死にたいとか思ってませんからね!
まだまだやる気十分ですから!


さて、私の心の問題なのでこれはどう表現すればよいものか?というか、これは他の人に言う必要あるのかな?とずっと思っていた事なんですが、やっぱりこれは書いておいた方がいいのかーと思ったので書く事にしました。


プロシュアはじめました / 炎症性サイトカインとその関係

なんのこっちゃ?冷やし中華か?(古! ってかんじですが、

経腸栄養剤の「プロシュア」を飲み始めましたのです。

なにしろ体重減少が止まらない。これはもう悪液質への道ひた走りなんちゃうか?
ということで、なんとかせねば!ということでいろいろ調べてみたのでございます。

体重減少については外来ケモの看護師さんにも相談したのですが、高カロリー食を食べるしかない!ということでネスレのゼリーやドリンクを教えてもらっていたのですが、どれもいまいちピンとこないかんじだし、食べても食べても体重が微減。
筋肉量も落ちてる。

やばい。やばいよ。